今年も「なんとなく」でハロウィンを乗り切ろう
私は毎年ハロウィンを「なんとなく」で乗り越えている。
周りが楽しんでるのを見て自分も楽しまないと損だとは思うが、仮装するほど労力はかけたくないし、コミュ障なので「トリックオアトリート」もろくに言えない。
そもそも十数年前はハロウィンというイベント自体耳にすることもなかったし、それが浸透してきたからと言って今更その場のノリだけでキャッキャするのはプライドが許さない。
このように、ハロウィンが近づくたびに山月記の李朝のようなめんどくさい心情になる人は私以外にも割といると感じられる。
それはハロウィンがどういうものなのかよくわかっていないからなのだと思う。
ハロウィンの起源や成り立ちを知ることによってそれを心から楽しめるようになるのではないかと思い、Wikipediaを見ることにした。
真面目に読んだがよくわからなかった。
起源については理解できたが、なぜ仮装イベントに繋がるのか、なぜカボチャを掘ってちょうちんを作るのか、なぜ毎年パリピが渋谷スクランブル交差点を埋め尽くすのか、なぜドンキで仮装を買おうとするも周りから「うわ、あいつハロウィンの仮装買ってるよ…」って思われてる気がして買えなくなるのか、については全く理解できなかった。
私からハロウィンに歩み寄ろうとしたが、ハロウィン側は追随を許さなかった。むしろ起源を知る前よりも距離が遠ざかった感じがする。
こうなったらもう今年も「なんとなく」でハロウィンを乗り切るしかない。
他人に流されることなく、自分がイメージするハロウィンを自分なりに楽しむ。
それが成功すればもうどんなイベントも怖くない。
とは言ったものの、イベントにも参加せず、パーティもせず、仮装も買わず、どのようにハロウィンを楽しめばいいのか。画面の前の皆さんはそう思っているだろう。
それを今からお教えしよう。参考になれば幸いである。
はじめに
ハロウィンを浅くとらえると「仮装」「カボチャ」「トリックオアトリート」で完結する。
つまり、この三つの要点さえ押さえておけばハロウィンとして成立する=「なんとなく」でもハロウィンを乗り越えられるということである。
しかし、それらを気にしすぎてしまうと「なんとなく」ではなくなってしまう。あくまで日常生活に溶け込む程度にその三つの要点を散りばめる必要がある。
ちなみに三権分立で言うと仮装が行政、カボチャが司法、トリックオアトリートが立法である。
仮装
仮装を日常に溶け込ませるためにはシーツを被るとよい。
手間もお金もをかけることなく、手軽にオバケの仮装が出来る。
ただ、その格好でイベント等に参加すると「なにそれ、歯磨き粉のコスプレ?」と煽られるので、自宅の中だけにとどめておいた方がよい。
カボチャ
カボチャを日常に溶け込ませるためにはカボチャ料理を用意するのがいい。
そもそもジャックランタンは生のカボチャだから食べられないしくりぬいた部分捨てるしで無駄の極みだ。もったいないおばけがいたらめちゃくちゃ憑いてると思う。
そこでおすすめなのがカボチャと高野豆腐の煮物である。
ジャックランタンは元々、怖いものを軒先にぶら下げて悪霊を追い払うという意味があるらしい。
煮物にしたら悪霊を追い払う効力はなくなると思うので日本の除霊アイテムこと大豆を原料に使った高野豆腐とコラボさせてみた。
豆は当て字で「魔滅」とも書けるので、魔を滅する効力がある。この料理を作ったら盛り塩のごとく玄関先に盛っておくとよいだろう(私は昨年それをして大家にめちゃくちゃ怒られ敷金が消滅した)
トリックオアトリート
トリックオアトリートを日常に溶け込ませるのは一番難しい
こんな文章ハロウィン以外で使う機会ないだろ。
ディスイズアペンも英語学習以外で使う機会ないだろ。
そもそもお菓子をあんなに用意するのが気恥ずかしい。だってお菓子を用意するってことはつまりハロウィン当日に自分が知り合いからどの程度「トリックオアトリート」と声をかけられてお菓子を求められるのか見積もって用意してるって事だから。
めちゃくちゃお菓子買ったのにほとんど余ったら悲しすぎる。もう立ち直れない気がする。想像したら気分が悪くなってきたのでもうブログを書くのを辞めたい。一旦スーパー銭湯とか行かせて欲しい。かなりダメージを受けたので。