アデアムのスライミーブログ

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〇〇してるやつは〇〇が好きな自分が好きなだけ理論について

〇〇してるやつは〇〇が好きな自分が好きなだけ

〇〇に入るものはなんでもいい
有名どころで言うと
パンケーキ食べてるやつはパンケーキが好きな自分が好きなだけ
写真撮ってるやつはカメラが好きな自分が好きなだけ
彼氏が好きなやつは彼氏が好きな自分が好きなだけ
等といったフレーズがツイッターを初めとするSNSでよく見受けられる

〇〇してるやつは、〇〇が好きなオシャレな、カッコイイ、可愛い、素敵な、自分に酔いしれているだけで、本当は〇〇なんてどうでもいい
そのようなニュアンスで使われる事が多いようだ

私はこのフレーズが苦手である
その理由は3つある

まず1つ目に、〇〇が本当に好きな人に失礼だからだ。
言うまでもなく人の趣味や好きなことにとやかく言うのは失礼なことである。
どうしても叩きたい人はまあ自己責任でといった感じだが、その場合においても
“ 本当は好きでもないのに流行に乗っかってガワだけなぞってみましたよ”
という層だけを叩けばいいのに、このフレーズを用いてしまうと、昔からその〇〇をやっていて流行とか関係なく本当に好きな人まで叩いてしまう事になる。


2つ目に、〇〇してる自分が好きなだけでも別に笑われるようなことではないからだ。
微妙に1つ目の理由と相反する事なのだが、個人的には〇〇が好きな自分が好きなだけでも別に叩かれたり嘲笑われたりする謂れはないと思っている。
そもそも趣味なんて始めた当初は全員にわかだし、取り立てて好きなことをやっているという認識もない。
始める理由も「カッコイイから」とか「オシャレだから」とかそんなものだろう。
にわかでもその中から楽しみを見つけて継続していった結果、趣味や特技へと昇華すると私は考えている。
上記のフレーズはそのにわか段階の人に対して、後に成る趣味の芽を摘む行為だと私は感じる。

3つ目に、自分が気に入らないだけなのにこのフレーズを用いて批判する人がいるからだ。
自分が気に入らないのならば気に入らないとハッキリ述べれば良いのに、このフレーズを用いて遠回しな批判をする人がいる。
このフレーズの巧みな所は主張の所在をうやむやにし、なおかつ相手側に責任を押し付けられる点だ。
例えば「恋人との惚気話をツイッターにあげる人が気に入らない」というだけの話も、このフレーズを使えば
恋人との惚気話をツイッターにあげるやつは恋人好きな自分が好きなだけ
となり、自分がそう思ってる訳では無いがそういう言説がありますよ。あなたはそれに当てはまってるから辞めた方がいいですよ。
というような内容になってしまう。
このような批判の仕方ははっきり言って卑怯だと感じる。

上記の3つの理由から私は
〇〇してるやつは〇〇が好きな自分が好きなだけ
というフレーズが苦手である

すみません、真面目な話をしすぎて疲れたので実家のトイレの写真見て落ち着きますf:id:maeyan8181:20181022125353j:plain